焼きたて塩バターパン

実は塩マーガリンパンの方が美味しい

ガルラジ感想文

人生初ブログというわけではないですが、10年以上振りにネットに文章を上げます。そんなわけなので一体何から書けばいいんだというところで筆が止まっていますが、とにかく(いっちょ書くか…)と思い至ったのは「ガールズラジオデイズ」略してガルラジというラジオ… ラジオ?ラジオなのかあれ。まぁなんだか形容しづらいコンテンツが一旦の終わりを迎えたからです。

ここで恐らく僕が少しでも自分の文章を読んでくれる方のことを考えられる人間ならば、ガルラジの簡単な紹介や公式サイトのリンク等を挿れるのでしょう。僕のこれからのブロガーとして、人としての成長が楽しみですね。

 

さっさと本題に移りましょう。とにかくガルラジのファーストシーズンが終わりました。現在「一体セカンドシーズンはいつからなんだ、早く告知してくれよ!」と急かす闇のオタク部分と「どのチームも最高の形で第6回を締めてくれて本当に良かった… ガルラジ最高…」と謝辞を述べる光のオタク部分が争っている真っ最中です。僕はガルラジを1月の中旬辺りから聴き始め、ファーストシーズンが終わるまでの約1ヶ月半の間をパーソナリティの女の子達やtwitterで見かけるガルラジオタクの皆さんと一緒に駆け抜けた感があるんですが、マジで楽しかったです。何故こんなにガルラジにハマってめちゃくちゃに楽しめたんだろうと自分でも不思議に思うとこもあるので、読書感想文よろしく自分なりに思うことを適当に書いていきます。以下ネタバレのバーゲンセールです。

 

①俺と年魚市と手取川

これに尽きる。

いや尽きるは過言ですが僕のガルラジは手取川で始まったと言っても過言ではないです。今は亡き「みるみるはっぴー×2れいでぃお」の冒頭5分までを聞いた時(これ聞いて手取川を推さないオタクおらへんやろ…)とお手上げ状態でした。僕も例に漏れず手取川のオタクになってしまったんですが、ただそこで手取川がオタク受けするインパクトのある可愛い女の子で終わらなかったのがガルラジの偉いところなんですよね。よしよし。ここで冒頭ガルラジはラジオなのか?と言い淀んだ所以なのですが、ただ女の子たちがラジオ番組を運営するだけでなく、ラジオを通して成長したり地元や友達に対する価値観等が変わっていく過程を見ることが出来ます。その最たる例が年魚市すずだと思っていて、今まで友達がいなかったという告白や白糸結との関係性やチーム富士川としての一員であるという自覚や白糸結との関係性… あゆしら………

年魚市の最初のイメージというのは、自分の夢であるラジオパーソナリティになるために邁進するラジオマシンみたいな女の子だと思っていたんですが、チーム富士川のメンバーとの交流を深めることで、初めての友達が出来たり、放送中に壊れかけのレディオになったりと様々な顔を見せてくれました。まだまだ年魚市については父親との関係も解決してないですし、二兎春花との邂逅も、ラジオ上で間接的にはしましたがセカンドシーズンではもっと直接的な関わり方もするのかなと思ったりとこれからが楽しみでもあり心配でもある存在で、本当に目が離せないですね。マジで年魚市のことこんな風に思うようになるなんて第1回放送を聞いた時には思いもしなかったです。ガルラジを舐めてた。とにかく手取川と年魚市、この2人の存在が僕にとっては非常に大きかったことが分かればいいです。

 

②ラジオという媒体が今の自分に合ってた

ここ1年くらいずっとVtuberにハマってたんですが、1年も追ってるとたとえ推しだとしても見るの疲れてくるんですよ。配信をながら聞き出来ればこんなこと思うこともなかったんだと思いますが、僕の性格上どうしても画面が見たくなりますし、チャット欄のコメントも割と気になります。ですのでVtuberの配信を見る際は半強制的に画面に釘付けの状態になってしまってたんですね。そして推しが増えればその分アーカイブも雪だるま式に増えていって最早Vtuberを追うために生活してるみたいな状態が割と長いこと続きました。それが段々しんどくなっていくのが日に日に感じてきてどうしたもんかと思ってたときに救世主のごとく現れたのがガルラジだったわけです。ガルラジの放送はリアルタイムでももちろん聞きますが、公式アプリのアーカイブを聞くことの方がやはり多くを占めるので基本的にはバックグラウンド再生で他のことやりながら聞いてます。通勤電車の中で(仕事したくねぇ〜)と思いながら、自宅で携帯をイジりながら、ちょっと散歩がてら外を歩きながらといったようにかなり日常の一部としてガルラジを聞いていたと思います。僕が中学生の頃、スクールオブロックというティーン向けのラジオがあったんですが、いつも宿題や受験勉強しながら聞いてたなぁと、もう10年以上前のことですが、あの時の嫌々勉強してた自分や部屋の家具の配置や壁に掛けてあったBUMP OF CHICKENのライブタオルも思い出せるくらいラジオを聞いていたときの光景って思い出せるんですよね。ああいう何気なく聞いていたラジオが気づかないうちに自分の日常になっている感覚、こういう感覚って音楽とかにも当てはまると思うんですが、視覚と聴覚で別々のものを感じてるからこそなのかなと。なんかエモいっすよね(良い感じに締める文章が全然出てこなかった)

あとラジオってリスナーが別々の場所で聞いてるんだなっていう感覚が顕著に現れるなと思うんですけどどうですか。今の時代、不特定多数の人間が同じプラットフォーム内の同じ動画・配信を見て共感を高めていくってのがコンテンツが盛り上がる大きな要因だと思うんですが、割とガルラジのやり方ってその辺逆の立場をとってて、今の僕はそれがとても心地よいと感じてます。遠くにいるはずなのに近くに感じるような、自分のパーソナルスペースは守られてる感があるわけです。

 

正直まだまだガルラジのこと書けるし書きたいんですが今パソコンがなくてこの文章スマホで打っててそろそろマジで面倒臭くなってきたので終わろうと思います。あと小学生の頃の自分の方がもっとちゃんとした文章書けてたなと思いながら書くのも普通に辛くて心折れそうだった。

セカンドシーズンも楽しみですね。また彼女たちの声を聞けることを心待ちにしながら生きながらえようと思います。

 

#2019年はガルラジ!